皆様,こんにちは!
ロシアによるウクライナ進攻が開始されて1年が経ちました。まだまだ,激しい紛争が続いており,終結まで時間がかかりそうです。そして,同時に始まったインフレ。収まる気配もありません。今後も厳しい日々が続きそうですね。
さて,本日は,「舞い上がれ!」の笠巻さんが孫と楽しいそうに飛行機を作っている姿を見て,私の祖父を思い出しましたので,記事にします。
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一緒に寝ながら戦争時代の話をしてくれた祖父
私の母方の祖父は,明治生まれで,警察官でしたが,満州で終戦をむかえ,ソ連に連行され,シベリアに5年ほど抑留された経験がありました。帰国後は,鹿児島で酪農と農業を営み,私の母をはじめ,6人の子供を育てあげました。
私は,初孫でしたので,祖父から,非常にかわいがられました。
物心ついた頃から,よく祖父の家に連れていかれ,祖父,祖母と一緒に生活していました。
朝,祖父,祖母と耕運機で,畑に行き,私は,一人,畑で土や虫を捕まえたりして遊んでいました。そして,夕方は,祖父宅に戻り,飼育している馬,牛,豚に,祖父と一緒に餌を与えたりと一日中,祖父のよこで遊んでいました。
そして,私は,特に馬が好きで,いつも馬の目を見ていました。馬の目はすごくかわいいですよね。
仕事も終わり,五右衛門風呂に祖父と一緒に入り,その後,祖父,祖母と一緒に食事をとりました。里芋の煮っころがし,煮つけ,具たくさんの味噌汁といった質素な食事をおいしく頂いたことを思い出します。
そして,なによりの楽しみが,祖父を一緒に寝ることでした。祖父から,若いころの話を聞くのが好きで,楽しみにしていました。
若い頃の騎馬兵だったころの話,馬をどうやって手なずけるかといった話を,興味深く聞き,そしていつの間にか,寝るという1日でした。
でも,たまに,厳しく,辛かったシベリア抑留生活をしてくれました。祖父が,悲しそうな声で,極寒の地で,厳しい労働,その上,食事状況がかなりひどかった話。また,多くの戦友が死んでいった話。そんな中,祖父は,地面に落ちた米を一粒一粒,拾い集め,夜中に食べることで,なんとか生き延びたとしみじみと話してくれました。あと,一番いやな仕事は,糞や尿が凍り付いたトイレ掃除だったいう話とか。。
祖父は,このような過酷な人生を,涙を流しながら,話してくれました。最後には,「ロシア人は,怖いぞ。気をつけろ!」と私に,言い聞かせました。
なんだか,今のロシアの制裁を,予期していたような感じの言葉ですね。だから,忘れられません。
私は,何も言わず黙って,聞いていました。そして,いつの間にか,寝てしまいました。でも,このシベリア抑留の話は,心に刻まれました。
その後,祖父は,私が大学生の時,亡くなりました。死因は,自殺でした。
理由は,わかりませんが,たぶん,足の膝を悪くして,農作業ができなくなったことで,私の母をはじめ,子供たちに迷惑がかかることを苦に自ら命を断ったと思います。
私の母や叔父,叔母,そして私の悲しみは,そして非常に大きかったです。
しかし,悲しい別れでしたが,祖父が話してくれたことは今でも忘れません。
多分,祖父は,平和の大切さを私に教えたかったと思います。それを,祖父らしく,正直に私に話してくれたと思います。
「ありがとう,おじいちゃん」
祖父の横でいろんな話を聞いてから,50年以上経ち,私も孫ができました。今では,孫に,祖父がした話を伝えたいと思っています。そうすることで,平和の大切さを教えればと考えています。
つづきは,次回へ!
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