皆様,こんにちは!
1日たちましたが,WBC侍JAPANの優勝の余韻に,日本中が浸っているようです。ここ数年,コロナにより行動抑制されていたためでしょうか,何か,日本全体がコロナにようやく打ち勝ったという喜びと相乗して,爆発的な勢いを感じます。日本経済も長い低迷を抜け出し,より進展して頂けるとありがたいのですが。。
本日は,昨日,鹿児島から帰ってきましたので,故郷に戻って感じたことを記事にしたいと思います。
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「命のバント」をつなぐことの大切さを感じる1枚の写真
昨日,鹿児島から帰省しました。
帰り際,仏壇で祖先に挨拶した時,ふと,仏壇の脇に父の家族の写真がありました。
そこには,2歳の父が映っており,50代の祖父,40代の祖母,父の兄弟の方々,11名がいました。父にこの写真のことを聞くと,父は,「家族でとった唯一の写真だ」と話しました。
ほとんどの方がすでに亡くなっていましたが,写真の一人一人を見ながら,これは〇〇おじさん,〇〇おばさんと父に確認していましたが,右端に立っている13歳ぐらいの男の子が,だれなのかわかりませんでした。
そこで,私が,写真を男の子を指さしながら「だれ?」と確認すると,父は,寂しそうに「〇〇にいさんだ。優秀なお兄さんだったが,朝鮮鉄道に就職して,肺病になった。」と話し,そして,「肺病になってから,実家に戻ってきて,亡くなった。すると,村の人々が,私の家は肺病の家。肺病がうつるから,あそこの家族には近づくなと言って,村人からかなりいじめられた。本当に辛かった。」と悲しそうに話しをしました。
「でも,俺は運がよかった。もし,戦争が続いていたら,俺も,朝鮮に行って,肺病で死んだかもしれない。だから,平和の大切さを痛感している」と言って,話を締めました。
私は,初めて聞かされて,驚きました。父の家系は,明るく,前向きな人が多く,このような暗い過去があったとは信じられませんでした。
でも,この話は,私たち子孫にしっかりと伝承する必要があると思いました。
平和に中で育った私たち世代,そして,たぶん子供たち世代や生まれてくる孫の世代は,「平和」は当たり前のことだと思っていると思います。しかし,「その80年前に生きていた父の家族の辛い経験,その背後には,戦争という出来事があったことを!」しっかりと理解するべきと思いました。
よく,「命のバトンをつなぐ」という言葉がありますが,それは,命が次へ受け継がれることだけではないと思います。「一つ一つの命」には,歴史があり,その歴史の中で,学んだことがあると思います。だから,この学んだことを,しっかりと次の世代に伝えることも,「命のバトンをつなぐ」ことだと思います。
だから,私は,父に,「是非,この話を,私の子供たちや孫にして欲しい。日本という国で「生」を授かったことは,奇跡に近いことであり,だからこそ,「生」を大切に扱うことを教えて欲しい。そして,「平和」の大切さを教えて欲しい。」とお願いしました。
父は,笑っていましたが,きっと,役割を果たしてくれると思います。
たった1枚の写真。でも,そこには,「命のバトンをつなぐ」かけがいのない歴史が刻まれていることを痛感しました。
つづきは,次回へ!
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