「ここまでおちれば笑うしかない」といった妻の覚悟

妻の闘病

皆様 こんにちは!

WBC侍JAPNの優勝,感動でした。村上選手,岡本選手のホームラン,そして,最後は,大谷選手がしっかりと9回を抑え,「これぞ,日本の力」と世界中に見せつけました。栗山監督,以下,侍JAPNの皆様,感動をありがとう!

さて,今回は,帰省中に母から聞いた妻の言葉を皆様にご紹介いたします。

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度重なるガン闘病 「ここまでおちれば笑うしかない」といった妻

昨日,会社の辞職理由,妻の卵巣がんの現実を告白し,90歳に近い,私の両親は愕然としたようで,その後は,私との会話がなくなりました。私も後悔に苛まれ,何も言わない日をすごしました。

すると,突然,母が,車で夕食の買い物に出かけたいと言い,私を誘いました。

私も,少し,気分を変えたかったので,母の誘いを受け入れました。

車で15分程度の距離にあるスーパーに向かいながら,お互い沈黙のまま,スーパーに到着しました。

スーパーでは,地元で取り立てのお魚のお刺身や野菜,そして,簡単な総菜を購入し,帰路につきました。

すると,帰りの車の中で,母が,突然,「〇〇さんは偉いよ。私が心配して声をかけたら,なって言ったと思う?」と問いかけてきました。

私は,何も言わず,母を見ると,母は,少し涙をだしながら,

「〇〇さんはね,「お母さん,ここまで落ちたら笑うしかありませんよ。だから笑いましょう。」と言ったのよ。その言葉を聞きいたら,〇〇さんの覚悟と強い意思がわかった。だから,山吉じいさんより,はるかに,〇〇さんは,強いよ。」と諭すように言ってきました。

私は,「えっ」と一言だけ残し,あとは,涙を出すだけでした。

母は,「だから,山吉じいさんも強い心を持ちなさい。大丈夫だから!」と私にやさしく諭し,会話は終わりました。

乳がん,卵巣がんに罹患した人生。そして,私の退職により経済的にも厳しくなった生活。それでも,私の妻は母に「笑いましょう」という,妻なりの覚悟と前向きな心を示しました。

それが,どれほど,私の両親の安心と励みになったことか。そして,私に勇気を与えたことか!

妻は,本当にすばらしい女性だと改めて思いました。

さあ,明日から,また,妻との新しい人生に向けてのスタートだ!いくぞ!

つづきは,次回へ!

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管理人

現在60歳。某電気メーカで30数年間、サラリーマン生活を送り、早期退職したおっさんです。すでに、孫もいます。退職後は、自由きままに、生きておりますが、妻が卵巣がんステージⅢCになりました。妻の闘病記や,日々気が付いたことをブログにしたいとおもいます。

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