(過去の話)乳がん闘病記(1) 私が気づきました

妻の闘病

皆様,こんにちは!

さて,三遊亭円楽さんが肺がんで亡くなりました。私は,切れ味のある毒舌が聞けなくなり,残念ですね。あと,アントニオ猪木さんも亡くなりました。朝から,少し,寂しい気持ちです。

さて,今回は,26年前に妻が罹患した乳がんの話を,記事にしたいと思います。

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私が気づきました

第二子の娘を出産した1年後でしたが,少し,恥ずかしい話ですが,妻の乳房を触った時に,いつもと違う,何か,しこりのようなものを感じました。

妻は,最初は,冗談だと思って,相手にしていませんでしたが,自分で触ってみて,やはり,しこりがあることに気づき,すぐ近くにあるS総合病院に行き,診察をしてもらいました。

触診や超音波検査等の結果,乳がんと診断されました。ただし,初期段階のうえに,非常に小さいので,腫瘍だけを取り除く手術を行うことになりました。もちろん,抗がん剤治療は必要ないという診断でした。

私は,仕事が非常に忙しく,立ち会えずに,夕方に妻からの電話で,伝えられました。

正直,あせりました。私の家族も妻の家族もガンを罹患した経験もなく,ガンについての知識はそれほどなく,「ガン=死」というイメージしかありませんでした。真っ先に浮かんだのは,「妻が死んだら,子供をどうしよう」ということでした。まだ,子供は,息子が5歳で幼稚園,娘が1歳でしたので,目の前が真っ暗になりました。

家に帰ると,妻が泣きながら,診察結果を話ました。私は,すぐに,遠く離れた鹿児島に住む義父母と私の父母に連絡して,今後のことについて相談しました。すると,義父母と私の母が,すぐに,駆けつけてくれました。

そこで,1歳の娘を妻が入院中に面倒見ることは難しいと判断し,鹿児島の義父母に預け,幼稚園に通っていた息子は,私の母が,私の家で面倒を見てもらうことになりました。入院の前日に,娘が泣きながら,義父母に連れられて,鹿児島へ向かう姿を見て,妻は,大きな声で泣いていました。私も,本当につらかったです。

その後,妻は入院し,翌日,手術を行いました。そのころ,私は,非常に忙しく,なかなか休みがとれない状況でした。妻の手術さえも立ち会えませんでした。申し訳ないことをしたと反省しています。

結果は,良好で,病理結果より,「非常に小さく,また,あまり進行しないがん」ですと主治医から言われ,私,妻,義父母,父母とも,安心しました。そして,私は,妻から「あなたのお陰で助かった」と非常に感謝されました。私も,ほんのちょっとした気づきで,人の命に関わることに驚きました。「気づき」は,非常に大切ですね。

娘は,1カ月後に,元気な姿で妻のもとに帰ってきました。少し,髪を短くカットしていたので,妻は,勝手に義父母がカットしたことをかなり怒っていましたが,いまでは,懐かしい思い出となっています。

このように,家族全員で,妻のガンを乗り越え,誰もが,もう大丈夫と安心していたところ,残念ながら,4年後に再発しました。

つづきは,次回へ

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管理人

現在60歳。某電気メーカで30数年間、サラリーマン生活を送り、早期退職したおっさんです。すでに、孫もいます。退職後は、自由きままに、生きておりますが、妻が卵巣がんステージⅢCになりました。妻の闘病記や,日々気が付いたことをブログにしたいとおもいます。

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