皆様,こんにちは!
本日,妻は,第4回目のコロナワクチンを接種に,ひとりで病院へ向かいました。天気もよく,接種後,近くの商店街を散歩をしてきたようです。手足の痺れがあるものの,抗がん剤の副作用がだいぶ軽減され,笑顔が戻ってきました。なによりです。
今回は,毎日新聞の59歳の記者が下咽頭(いんとう)がんに罹患なさった時の心境をつづった記事がありましたので,この時の心境について考えてみました。
スポンサーリンク
アラサーは希望を信じ,アラカンは「死」を受け入れながら乗り越える
59歳の記者の方は,覚悟を決め,そして落ち着いて,ガン告知を受けられたそうです。その際,Aya世代の方々と自分とを比較し,Aya世代でガンに罹患した場合は,仕事や家族といった夢を諦めざるえない状況になり,悲しみや不安は,自分よりはるかに大きい。それに比べれば,59歳のガン罹患の場合,仕事も家族も一段落しており,思った以上に冷静に受け入れることができたと語っています。
その記事を読んだとき,ふと,果たして,妻の場合はどうだろうと考えました。それは,私の妻は,アラサーの32歳で,乳がんに罹患し,アラカンの59歳で,卵巣がんに罹患し,まさに,アラサー,アラカンでガンを罹患しました。
32歳の時を思い出しましたが,私は,妻が必ず病気を克服すると100%信じて。仕事と育児に集中していました。そこには,不思議と「悲しさ」や「不安」というものはありませんでした。いや,忙しくて,後ろ向きなことを感じる時間がなかったと思います。とにかく,前を向き,明日を信じていました。
妻も,たぶん,私と同じ気持ちだったと思います。克服を100%信じていたと思います。
しかし,アラカンの59歳で妻が卵巣がんに罹患すると,なぜか,妻の「死」を意識してしまいます。なぜだろう?
いづれにしても,あと20年あるいは30年の命だから,「死」というものを,現実的なもとの捉えるからでしょうか?
もちろん,「悲しさ」や「不安」はありますが,なにか,冷静に「死」というものを受け入れている自分がいます。妻も,私と同じように,冷静に,受け入れていると思います。
このような意識の違いは,ガンのステージの違いから生じたものかもしれません。
私でなく妻がガンに罹患しているかもしれません。
そして,なによりも,子供も独り立ちし,親としての役割が一段落ついたのかもしれません。
いづれにしろ,私は,「生きる」ことを信じて乗り越えるアラサーと,「死」をある程度,受け入れながら,生きるアラカンという違いを感じます。
たぶん,「生きる」ということ,そして「死」ということの捉え方が,年齢とともに変化していくからかもしれません。
今回は,妻には,あせらず,自分のペースで,そして,なによりも,私との生活を楽しみながら,「ガン」を克服してほしいと思います。
つづきは,次回へ!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。よろしければ、ポチッお願いします。今後の励みになります。
読者登録もして頂ければと思います。
スポンサーリンク