乳がんに罹患した妻の3人目の妊娠時での厳しい決断 

妻の闘病

皆様,こんにちは!

ペースアップの春闘が始まりました。労組側は,結構強気のベースアップ要求しているようですが,どうなるでしょうか?ベースアップすることで,日本経済がより活性化することを望みます。無職の私にはあまり関係ありませんが,日本経済が明るくなると多少,気分いいですよね。

本日は,20年以上前に,乳がんを罹患した妻が,3人目の子供をどうするかで下した決断について,記事にしたいと思います。

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いつまで育てられるかわからい!産まないことを決断!

すでに,過去のブログ「(過去の話)乳がん闘病記(1) 私が気づきました」で,記事にしましたが,妻は,二人目の娘が誕生した1年後に,乳がんに罹患しました。幸いなことに,早期発見だったことと比較的おとなしい腫瘍でしたので,部分切除手術で,寛解しました。

しかし,再発の恐れもあり,数か月おきに定期検診を受けておりました。

そして,乳がん手術の4年後に,3人目を妊娠しました。

私は,子供が好きですので,3人目も育てたいと思っておりましたが,妻は,いろいろと悩んだ末,「子供を最後まで育てる自信がない」と言って,「産みたくない」と私に話してきました。

私は,乳がんはすでに完治されたと思っていましたので驚きました。しかし,反論できませんでした。そして,そこまで妻は乳がんの再発を恐れているのかということを,ようやく理解しました。

とはいえ,私も,簡単には判断できず悩みました。そこで,私の母に,相談することにしました。

すると,母から「〇〇さんの意見に従いなさい。子育ては,本当に大変だから。実は,私も,3人目を産まなかったよ。」と衝撃の事実を明かされ,私が,「どうして?」と恐る恐る聞いてみると,「お金がなかった。二人の子供までで精一杯だった。」と聞かされ,思わず涙がでました。

たしかに,私の家は裕福でなく,かなり厳しい生活状況でした。そのような状況で,私も弟も,二人とも東京の大学に奨学金なしで行かせてくれました。しかし,そこには,母なりの重い決断があったと思うと,なにか複雑な気持ちになりました。

そして,妻の決断通りに,3人目はあきらめました。

その2年後に,妻は乳がんを再発し,左胸を切除しました。その時,妻の決断は,正しかったと思いました。そして,手術後,妻が,「子供たちが,20歳になるまでは生きたい。」とポツリと呟いたことを今でも思い出します。子供を育て上げることへの母親としての強い思いを感じました。

二人の子供を育て上げるために厳しい決断をした母と妻。そして,また,妻は卵巣がんに罹患し,懸命に辛い抗がん剤治療も耐えました。本当に,母と妻は,強い女性だと思います。

この二人の女性に巡り合えたことに感謝です。

ありがとう!お母さんと〇〇!

つづきは,次回へ!

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管理人

現在60歳。某電気メーカで30数年間、サラリーマン生活を送り、早期退職したおっさんです。すでに、孫もいます。退職後は、自由きままに、生きておりますが、妻が卵巣がんステージⅢCになりました。妻の闘病記や,日々気が付いたことをブログにしたいとおもいます。

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