皆様,こんにちは!
本日は,曇りですが,涼しくて過ごしやすい日です。最近,秋の気配を感じています。妻の方は,吐き気の方は収まり,食欲が少しできてきましたが,痺れがキツイと言って,ソファに横になっています。もうしばらく,時間がかかりそうです。
さて,妻にとっての1日はどういう意味があるのかを考えてみましたので,記事にします。
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1日を生き抜くということは?
1日を無時に暮らすことは,2つの意味があると思います。
1つが,定められた寿命の1日が過ぎたという考え方。
もう1つが,無事に暮らした1日を人生に加えるという考え方。
同じ1日を過ごすということは,この2つの考えは,全く違うと思います。
1日を人生から引き算するという考え方と1日を人生に付け加えるという考え方。一方は,引き算,片方は,足し算。当然,生き方も別になるように思います。
ガンを罹患した妻の場合は,後者の1日1日を人生に付け加える生き方だと思います。なぜなら,いつまで生きられるか,わからないからです。もちろん,健康な方でも,明日,生きられるかなどわかりませんが,切迫感が,全く違うと思います。切迫感のない私は,前者の寿命から1日過ぎたと思います。
しかし,1日を付け加えるという生き方は,より充実した日を送るのではないでしょうか?
そして,誕生日に年を一つ増える度に感謝し,また,ガンと診断された日に,サバイバーとして1年増えたことに,喜びを感じるのではないでしょうか?皆様のブログから,そのように感じます。
一方,私のように,1日を引き算として生きている人間にとって,誕生日は,老いたことですから,あまり,楽しくないのでは,ないでしょうか?少なくとも,私は,最近,誕生日を特別な日として扱っていません。私だけかもしれませんが。。
だから,1日を生きるということは,私と妻では,全く異なってくると思います。
どちらが,いいのかは,わかりませんが,少なくとも,妻の1日は,より充実感を感じているのではないでしょうか?
妻の誕生日とガンと診断された日は,家族で祝いたいと思います。
あまり,まとまりのないブログですいませんが,ふと,感じたことを記事にしました。
つづきは,次回へ!
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